サラセン人の馬上槍試合 (ジョストラ・デル・サラチ―ノ)

アレッツォの大広場で蘇る中世の騎士道

年に2回、古都アレッツォは生きた中世の絵巻物へと変貌を遂げます。ジョストラ・デル・サラチーノと呼ばれるこのスリリングな馬上槍試合は、壮麗なピアッツァ・グランデで開催され、市内の4つの地区が技と勇気、そして何世紀も続く伝統を競い合います。広場に轟く蹄の音と、盾にぶつかる槍の音。観客はまるで中世のイタリアにタイムスリップしたかのように、生々しい興奮と華やかな祭典の雰囲気を体験します。

主な見どころ

息をのむ馬上の槍試合

ジョストラ・デル・サラチーノの最大の見どころは、やはり馬上槍試合そのものです。アレッツォの4つの地区から選ばれた計8名の騎士たちが、ピアッツァ・グランデに設けられた特設コース「リッツァ」で腕を競います。この75メートルの土のトラックを、騎士たちは息をのむような速さで駆け抜けていきます。

騎士たちの標的となるのは「ブラット」。インドの王を模したこの木製の人形が、コースの終点に鎮座しています。騎士たちは、片手に槍を構え、全速力で馬を走らせます。その姿に、観客たちは固唾を飲んで見入ります。騎士の目標は、ブラットが持つ盾を正確に突くこと。しかし、それだけではありません。ブラットのもう一方の手には回転する棍棒が。これに当たれば減点となるため、騎士たちは絶妙なタイミングで身をかわさなければなりません。

槍が盾を打つ鋭い音が響くたび、広場は歓声か落胆の声で沸き立ちます。騎士たちの勇姿、観客の熱狂、そして中世から続く伝統。これらが織りなす光景は、まさに圧巻の一言に尽きます。

時を超える華麗なる行列

馬上槍試合の幕開けを飾るのは、まるで中世にタイムスリップしたかのような壮麗な行列です。アレッツォの街は一瞬にして数百年前の姿に戻ります。大聖堂からピアッツァ・グランデまで続く石畳の道には、300人を超える参加者が中世の衣装に身を包んで並びます。行列の先頭を進むのは、公式音楽隊「グルッポ・ムジチ」。太鼓のリズミカルな響きとトランペットの澄んだ音色が、静かな街に鳴り響きます。その音に合わせ、旗手たちが華麗な演技を披露。アレッツォの4つの地区の紋章が描かれた色鮮やかな旗が、青空を背景に舞い踊ります。

行列が近づくにつれ、五感が研ぎ澄まされていきます。絹やビロードの衣装が風にそよぐ音、磨き上げられた鎧のきらめき、古い石畳を踏む馬の蹄の音。そして、革や金属、香水の入り混じった独特の香り。目の前を通り過ぎる参加者たちの表情からは、この祭りにかける誇りと情熱が伝わってきます。

この行列は単なる前座ではありません。アレッツォの人々にとって、これは自分たちの歴史と伝統を体現する大切な儀式なのです。観客も、まるで中世の一場面に紛れ込んだかのような錯覚に陥り、次第に祭りの熱気に包まれていきます。

トスカーナの美食:祭りを彩る郷土の味

サラセン人の馬上槍試合は、中世の伝統を受け継ぐ競技だけでなく、トスカーナ料理を堪能できる美食の祭典でもあります。祭りが近づくにつれ、アレッツォの街には郷土料理の香りが漂い始めます。

来訪者が真っ先に味わうべきは、トスカーナを代表する料理「リボッリータ」です。黒キャベツやインゲン豆、香味野菜を煮込んだスープに、硬くなったパンを加えて再び煮込んだこの料理は、まさに「温め直した」という名前の通り、素朴ながら深い味わいが特徴です。寒い季節には体も心も温まる一品です。肉料理を楽しみたい方には、「ペッポーゾ」がおすすめです。牛肉をたっぷりの黒コショウとワインで長時間煮込んだこのシチューは、かつて大聖堂を建てた石工たちの活力の源だったといわれています。スパイシーな香りと柔らかな肉の食感が、舌の上で見事に調和します。

祭りの前夜には、各地区で「チェーナ・プロピツィアトーリア」と呼ばれる縁起の良い宴が開かれます。地元の人々や観光客が一堂に会し、伝統料理を囲みながら翌日の試合に思いを馳せるのです。テーブルには、パッパルデッレという幅広麺に猪のラグーソースを絡めた郷土パスタや、トスカーナ風ロースト「アッロスティチーニ」など、地元の味覚が並びます。

そして、これらの料理に欠かせないのが、トスカーナが誇るキャンティワイン。力強い赤ワインがグラスに注がれ、料理の味を引き立てると同時に、宴の雰囲気を一層盛り上げます。ワインが進むにつれ、翌日の試合の勝敗予想や各地区の騎士の腕前について、熱い議論が交わされていくのです。この宴は、まさに舌で味わう前夜祭。翌日の熱戦に向けて、参加者たちの期待と興奮は最高潮に達するのです。

文化的・歴史的背景

アレッツォの街を彩るサラセン人の馬上槍試合は、単なる観光イベントではありません。それは、中世から脈々と受け継がれてきた伝統であり、アレッツォの人々のアイデンティティそのものなのです。この祭りの起源は1535年にまで遡ります。当時、十字軍に向かう騎士たちの訓練として始まったこの競技は、「サラセン人」を模した的を槍で突く形式でした。これは、騎士たちが実際の戦場で直面する敵を想定したものでした。

時代と共に、この競技は変容を遂げていきます。かつての軍事訓練から、アレッツォの繁栄と力、そして市民の勇気を誇示する華やかな祭典へと進化したのです。現在では、年に2回、6月と9月に開催され、アレッツォの文化カレンダーにおいて最も重要な行事となっています。

サラセン人の馬上槍試合の中心となるのは、アレッツォの4つの地区(ポルタ・クルチフェラ、ポルタ・デル・フォロ、ポルタ・サンタンドレア、ポルタ・サントスピリト)の対抗戦です。各地区には固有の歴史と伝統があり、その独自性は紋章や旗、衣装などに色濃く反映されています。例えば、ポルタ・クルチフェラの赤と緑、ポルタ・デル・フォロの赤と黄色といった色彩は、それぞれの地区の誇りを表現しています。

地区への帰属意識は非常に強く、多くの家族で何世代にもわたって受け継がれています。子供たちは幼い頃から自分の地区の歴史や伝統を学び、祭りの準備に参加することで、コミュニティの一員としての自覚を育んでいきます。試合の勝敗は、単なる競技の結果以上の意味を持ちます。勝利は地区の誇りとなり、敗北は来年への奮起の糧となるのです。

さらに、サラセン人の馬上槍試合は芸術や職人技術の継承の場でもあります。華麗な衣装や旗、そして「黄金の槍」と呼ばれる優勝トロフィーの制作には、地元の職人たちの卓越した技が注ぎ込まれています。これらの作品は、アレッツォの豊かな芸術的伝統を体現するものとして、世代を超えて大切に守られています。

このように、サラセン人の馬上槍試合は、アレッツォの人々にとって過去と現在をつなぐ生きた絆であり、彼らのアイデンティティを形作る重要な文化的基盤なのです。年に2回のこの祭りは、アレッツォの豊かな歴史を称え、強固なコミュニティの絆を再確認する、かけがえのない機会となっているのです。

参加者の声

フィレンツェから小旅行で訪れたアレッツォで、偶然にもジョストラ・デル・サラチーノに出くわしたんです。これが思わぬ掘り出し物になって、イタリア旅行のハイライトになりました。普段は落ち着いた雰囲気の街なのに、この日ばかりは空気が張り詰めていて、まるで街全体が興奮で震えているみたいでした。 私も自然と熱に浮かされて、地元の人たちと一緒に応援していました。赤と緑の鮮やかな色使いに一目惚れしちゃって。馬上槍試合が始まると、もう息をするのも忘れるくらい緊張感がありました。騎士たちが全速力で走路を駆け抜けるたび、思わず「ハラハラドキドキ」って感じで。 でも、一番心に残ったのは地元の人たちの温かさでしたね。隣に座った年配の紳士が、きっと私が戸惑っているのに気づいたんでしょう。ルールや祭りの歴史を、まるで孫に語り聞かせるように丁寧に教えてくれたんです。その親切さに触れて、いつの間にかアレッツォの空気に溶け込んでいました。 気がつけば、スカーフまで買っちゃいました。これを身につけると、まるで自分もこの街の一員になったような気分になれるんです。小さな街アレッツォで、思いがけず出会った熱狂的な祭りと人々の温かさ。きっと一生忘れられない思い出になりそうです。

面白い事実

  • イタリアが誇る詩人ダンテ・アリギエーリは、その不朽の名作『神曲』の中でアレッツォの馬上槍試合に触れています。13世紀末から14世紀初頭にかけて書かれたこの作品で言及されたことで、ジョストラ・デル・サラチーノはイタリア文学史に深く刻まれることとなりました。ダンテの筆によって、この伝統行事は単なる地方の祭りを超え、イタリア文化の重要な一部として認識されるようになったのです。
  • 試合で使用される馬は、ピアッツァ・グランデの傾斜や不均一な表面といった独特の課題に対応するため、1年以上の特別な訓練を受けます。
  • 1677年には、トスカーナ大公自身がサラセン人の馬上槍試合に参加し、この行事が貴族の間でも高い威信を持っていたことを示しています。

祭りの日程

サラセン人の馬上槍試合は、アレッツォのピアッツァ・グランデで年2回開催されます

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実際の様子

Tokyo

photo by To Tuscany

Tokyo

photo by To Tuscany


開催情報

名称 サラセン人の馬上槍試合 (ジョストラ・デル・サラチ―ノ)
イタリア
エリア , アレッツオ
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